ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、サラエボ。ボブスレートラックのグラフィティと紛争の歴史。

ボスニア・ヘルツェゴビナ
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こんにちは、Shimacoです。

1985年冬季オリンピックが開催されたボスニア・ヘルツェゴヴィナのサラエボ。(Shimaco世代はまだ姿も形もありません。)

その冬季オリンピックで使われたボブスレー・トラック跡地のグラフティ(いわゆるストリートアート)がちょっと退廃的で素敵すぎたので、ご紹介します。もちろん、忘れてはいけない紛争の歴史についてもご紹介していきます。

アクセス/ツアー

バスやタクシーを使って個人で行けなくもないのですが、海外の森に一人で行くのは心許なく迷いました。

悩んでた折、

サラエボの紛争の歴史巡りとボブスレートラックを見学できて、
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身のガイドが案内してくれて、
しかも半日で効率よく回れるツアーを発見しました。

Sarajevo Total Siege Tour (War Tunnel Included) という約4時間のツアーです。
1日2回の開催で、開始時間は下記の通りです。

  • 3月 – 10月 9 AM / 2 PM,
  • 11月 – 2月 9 AM / 1 PM.

ツアー会社の事務所に集合もしくはホテルへのピックアップをお願いできます。
私は今回ホテルへのピックアップをお願いしました。

小さめのバンで周るため、参加人数は最大8人ですので、こじんまりしたツアーにになります。
参加人数の多いツアーが苦手な方にはおすすめです(Shimacoもそのタイプ。)

価格は1人22EURとお手頃です。※もちろん同額のボスニア・マルカでも支払えます。

(実際行ってみたら、割と人がいたので森だからと言って心配しなくてもよかったかもしれないと思いましたが、ツアーでは色々回れて満足でした。)

トンネル博物館

まずはトンネル博物館へ。
こちらは空港の近くにあり、サラエボの街と安全地帯を結ぶトンネルで物資を運ぶために使われたようです。サラエボ包囲戦の中、約3か月で建設された突貫トンネルみたい。

地下トンネルの入り口が通常の民家だったというから驚きですが、カモフラージュってそういうことなのかもしれません。

ガイドからサラエボ包囲戦やUNがどういう位置づけで入っていたか等の説明を受けます。

地下トンネル内は一部見学できます。前の方が(背が高いのもあるけど)屈んでいるが相当に天井が低いです。

トンネル博物館の入り口にはサラエボ・ローズ。これは砲撃で亡くなった場所に赤いレジンを埋め込んでメモリアルにしているものです。

こちらのものは広範囲に広がっているので、複数人が続けて襲撃された跡と思われます。

サラエボの街中にも沢山あり、ついうっかり踏みそうになるほど日常に溶け込んでいます。サラエボ中心地のもはこちら

ボブスレートラック・グラフィティ

続いては1985年サラエボ冬季オリンピックで使われた跡地を巡っていきます。
紛争と経年劣化で大分傷んでいる印象でした。

まずは念願のボブスレー・トラック。偶然、Tripadvisorで見つけてからすごく行きたいと思って、早数年経っていましたがようやく来れて感無量でした。

こちらのスタート地点から20分程歩いて下まで降りていきます。

曲面にグラフィティということで世界で類を見ないのではないでしょうか。

ここが一番かっこいいと思いました。。

どれも一つずつ異なって、素敵でした!

続いては廃墟のレストラン(だったかな?)。雰囲気ありすぎで廃墟好きにはたまらない感じとなっています。

傷んでいるが、素人の感覚からすると重量鉄骨のようで見学中に崩壊することはなさそうに見えました。

建てた当時はサラエボ市内を望む眺望のいいレストランだったに違いありません。

最後にJewish Cemeteryというお墓を見学します。
こちらはサラエボでよく見かける斜面に建設したお墓です。この時点でトイレに行きたくなっており、ガイドの説明は頭に入ってませんでした。(笑)

高台にあるので、サラエボ市内がよく見えますが、紛争中にジャーナリストが滞在したというホリディイン・サラエボが見えます。目立つイエローのグラデーションですね。

見学が終わり、サラエボ中心地にある開催会社で解散で料金を現金で支払いました。
ツアー会社の方は皆さんとてもフレンドリーで親切な方たちでした。

以上、サラエボの紛争&ボブスラートラックの跡地巡りツアーのご紹介でした。この記事を読んで興味を持っていただければ幸いです。